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APLAさんの機関誌ハリーナにエッセイを寄稿しました

サイトの制作を担当させていただいているAPLA(アプラ)さんの機関誌『ハリーナ』に寄稿させていただきました。

『ハリーナ』はタガログ語で「こっちへおいで!」という意味だそうです。エッセイの掲載場所は表紙裏・目次のとなり、しかも今号から全編カラーになって写真も掲載されるんですね。果たして僕におもわずそっちに行きたくなるような文章が書けるのか?!

ハリーナ2017年8月号(no.37)[特集] マスコバド糖30周年。これまでとこれから

文章書くのは嫌いじゃないですよ、でも人さまの庭で披露するような文章は書いたことないんですね。

僕は僕っぽい文章しか書けないしそれがAPLAさんの意図でもあると思うんですが、一方である程度、皆さんに受け入れやすいような入り口を提供しないといけないだろうなぁと考えて、ここはやはり子どもに登場してもらえばまあなんとかなるんじゃないだろうか?と。

仕事のこと、アースデイマーケット・商店街のことなど活動系のことを書くことも考えたんですが、こういうことを書こうとするとどうしてもある程度の固有名詞が登場してその説明もしなくちゃいけない、誌面はそれほど広くないので言いたいこと書き終わるまえに終わってしまいそう、ということでやめました。

前置き(言い訳)はこれぐらいにします。


「僕の毎日のしあわせ。」 今、僕は食器洗いをしている。夕飯後の食器洗いは妻との約束で僕の任務である。 幸いにも食器洗いは嫌いではない。 とは言っても、毎日毎日こうして食器を洗っていると、人生のほとんど全ては小さな同じことの繰り返しでできていて、これに一体どんな意味があるのだろうか?という問に行き着くことは避けられない。 幸いにも、この問に対しての答えは用意されている。 「一見、同じことの繰り返しに感じられたとしても、時の流れは一方行であり生物をはじめとして万物には終わりが定められているという原則からすれば、絶対的に同じことは存在しないのです。同じに感じられるのはあなたの受け取り方の問題なのです。同じだと感じたものをもう一度よく見てごらんなさい。きっと違う何かを見つけられるはずです。」 幸いにも、この答えに対する反論は用意されている。 「まったくその通りなのです。しかし、私たちは”退屈”という言葉を知っています。これはどうしたことでしょう?2つと同じ物事は存在しないと私たちはわかっています。すべてに感動し、そして感謝できるはずなんです。でも、やはり退屈するのです。」 このような問答を繰り返しているうちに僕の食器洗いは終わっている。 次の任務は風呂洗いである。これも妻との約束で毎日毎日である。 一昨年、子どもを授かった。 彼女の振る舞いは常にこちらの想像の枠を遊々と突き抜ける。 同時に凄まじいスピードで変化していく。 みるみる、さっきまで出来なかったことが出来るようになっていく。 彼女は退屈を知らないようだ。そればかりか周囲の人間から退屈を根こそぎ奪い続ける。 おかげで、僕の体の中に、日々のあらゆることが彼女の糧になっているような実感が湧き上がっている。 夕飯後は彼女を風呂に入れる。 彼女を風呂に入れるのは、妻との約束であり僕の毎日の幸せである。

初稿はもっとハッピーじゃない終わり方でした。考藤からダメ出しをうけて書き直しました。身近に読んでくれる人がいるとありがたいですね。

将来、子どもがこの文章をよんだら何て言うかな?


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